毎日反省 毎日成長

上手くいかないことばかり。でも今日も楽しく自分らしく。

サラリーマンであり、父であり、夫である 普通の親父が日常で得た気付きや悩みを 書き出すブログ

2022年のモットーは「健康第一」

心配事の96%は実際には起こらないし、30秒のハグで3分の1のストレスは解消されるし、週2回以上の筋トレで病気による死亡率は23%下がるし、1日6分の読書で68%のストレスは軽減するし、20分の運動で記憶力20%向上するし、18分の仮眠で3時間分の睡眠を確保できる。

 

悪口を言わない、聞かない、話さない

最近続けている早朝ウォーキングで地元の神社に書いてあった。ゴロがよいところ、言わないと話さないの意味がかぶっているところが印象に残り頭から離れない。

今年のモットーにしようと思う。改めて考えると誰かを非難することが習慣のように頭の中で思考している。自分ができないことを隠すために誰かを避難することはもうやめようと思う。そうやって自分を慰めても何も進歩しない。

2022年のモットーは「悪口を言わない、聞かない、話さない」でいこう。

生殺与奪の権利を会社に預けている

サラリーマンである私は会社から子会社に出向しろと言われたり転勤を命じられたりすることがある。もちろんそれを前提に給料をもらっているため文句を言うのもおかしいかもしれない。ただ家を購入したり子供と楽しく過ごす時間を経験するとそれに贖いたい気持ちも強くなる。実際私の周りには家を購入後遠隔地に転勤になり何年間も単身赴任をしている人がいたり生まれたばかりの子供と土日の限られた時間しか一緒に過ごせない人もいる。

幸運なことに今のところ私はタイミングがよく家や家族との時間を削るような転勤や異動がない。ただ周りがそうなっていることを見るといつかは自分もそうなるのだろうと不安になる。いつ自分もそうなるかとビクビクしているのが実際である。

よく会社で自分のキャリアプランを考えると言われる。しかし明らかに自分のキャリアプランを描くことなど不可能であり会社からの指示に従い業務をしたり転勤をしたりする。

すなわち生殺与奪の権利を会社に預けてることになる。これまで会社の上司や役員といった非常に優秀でかつ他に抜きん出て出世した方も最終的には地方にある子会社の役員になったりすることが多い。どんなに出世してもどんなに優秀でも会社に言われたまま仕事をしていては生殺与奪の権利を取り戻すことはできない。

生殺与奪の権利を自分に取り戻すにはどうしたらいいんだろうか。場所にとらわれない業務を出来るスキルを持つことだろうか。今の専門業務だけを突き詰めていては生殺与奪の権利を取り戻すことは絶対にできない。何か自分自身でスキルを持ったりキャリアを切り開く必要がある。

自分の存在感を示すための発言は裏目に出る

会議で質問や意見を求められることがある。 特に意見がないのに自分の存在感を示すためだけに必要のない発言をしてしまうことがある。

そういった発言はたいてい裏目に出る そもそも必要性であったり糸がないので逆質問をされて答えに窮する。結果的に自分にとって悪い結果につながることが多い。

まずは自分の存在感を示そうとしないこと、質問や発言は自分の意図を確かめてから行うこと。

それに注意して明日からも頑張りたい。

世界最軽量のPCに対して

世界最軽量は譲りません、使い勝手を犠牲にした商品開発はいたしません(Impress Watchhttps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201019-00000048-impress-sci

 

まさに日本企業がこれまで失敗してきたのと同じ道を歩んでいるように思える。数グラムの差をユーザーは求めているのか?開発者のエゴしか感じられない。開発者はこの世界最軽量をイノベーションと呼ぶのだろう。

私はイノベーションとは思わない。イノベーションとは技術が優れているかどうかではなくて流行ったかどうかだと思う。

ユーザーが求めているのは、価格だったりスマホとの連動性だったり持ち運びしやすさではないだろうか。少なくとも私はパソコンの重さを問題視したことはない。そういったユーザーの意見に耳を傾けずに自らがイノベーションだと感じる拘りを突き詰めて日本の家電は世界に負けてしまったと思う。

本当にその機能はユーザー求めてますか?自分自身にも絶えず問い続けないといけないと改めて思いました。

嫌な時期をやり過ごす

相変わらず職場に慣れない。与えられた仕事は最低限の成果は出している。それでも、どうしても自分の居場所だと感じれない。

良い時と悪い時があるが、悪い時は息苦しさや強い疲労感を感じて職場から離れたくなる。

原因を探ったり対策を試行したりしてきたかが改善されないままストレスを感じる日過ごしている。

考え方を変えたくて心理士に相談してみた。頂いたアドレスは私のスタンスとは真逆であった。

「今の職場に慣れようとせずに、今の時期をやり過ごせば良い」というアドレスを頂いた。無理に職場でエネルギーを使わずに今の職場の仕事=本業以外のことにエネルギーを傾ければ良い。そもそも自分のキャリア全体から見ると今の職場の仕事は副業みたいなもの。何が本業で何が副業かは今の時代分からない。そうやって嵐が過ぎるのを待てば良いということだった。物事の大半は人間関係が原因だと思うし今の自分のストレスも人間関係が主な原因だと思う。その中で好かれようと努力してきた。それがストレスだった。であれば、人間に興味を持たずに物事に興味を持てば良い。人間関係の嵐は過ぎ去るのを待てば良い。

正直、少し気が楽になった。嫌なことがあってもやり過ごせば良いだけ。人生良い時も悪い時もある。今が悪い時ならやり過ごして良い時を待つだけ。

モデルチェンジ

最近、40才になった。

人生80年だとすると残り半分になる。

 

家庭生活は順調。二人の子供もすくすく育ち、妻が私を支えてくれている。

両親も元気に老後の第2ステージを謳歌している。

 

仕事の方は受難の時を過ごしている。人間関係も専門技術的にも馴染めずに日々苦しんでいる。

 

人生の折り返し地点で仕事に苦しんでいることが、何となく生き方のモデルチェンジを促そうとしている気がする。

今のまま生きていてはダメだと教えてくれているように感じてしまう。

 

元々の専門技術が活かされない今の職場で私を頼ろうとする人はいない。半年後に元々の職場に戻ると、専門技術や今回の経験から私を頼ろうとする人はいるかもしれない。でも、そのままではいつか回りから頼られない人間になる気がする。

 

課長や部長を役職定年になり、干されてしまった人を何人も見てきた。それは今の職場でもしかり。一定規模以上の企業に勤めると、中途半端な位置で出世レースに負けると干されてしまう。中途半端な位置とはマネジメント色の強い職責である。マネジメント色に染まりプレイヤーとしての機動力を失う人から部下を奪うと、何もできなくなる。そういった人を何人も見てきた。

 

自分が元々の職場に戻るとマネジメント色の強い職責を与える可能性が強い。そのマネジメント色の強い職責を果たせる自信も自分にはある。でも、マネジメントに染まってしまうといつか干されてしまう。他人に起こったことは間違いなく自分には起こる。自分がとりわけ優秀ではないことは分かっている。

 

今の仕事で苦しむことが自分にこれからを考えさせるきっかけになっているように感じる。順風満帆の時は、このままで良いとしか感じない。むしろ、このままでいられるように強制力を働かせる。

 

でも、このままではいつか干されてしまう。だから、モデルチェンジを促されているように思える。モデルチェンジ後の姿をより明確にしなければいけない。いつまでもプレイヤーとしていられるモデルが望ましいと思える。