議論することが目的になっていないか
販売戦略、新工場立地計画、職場で様々な議論がなされている。
ただ、その議論が実際に形になることはほとんどない。
議論することが目的になっていて、売上を上げること等本来目指すべきことが目的になっていないから。
議論は楽しい。
想像を膨らませて、好き放題言うだけだから。
何故楽しいかというと、責任がないから。
責任なく好き勝手議論できるから。
そして、議論が収束し始めてから次のアクションを考えて責任にびびり始める。
役員上程や予算取りをする責任から逃げようとする。
現状では判断できない、他の議論を優先すべきなど言い訳を言って結論から逃げる。
大企業になればなるほど、議論に時間を割こうとする。
問題や関係者が複雑で、行動に移る前に戦略を立てないと上手くいかないから。
戦略を立てることは必要。
ただし、戦略の良し悪しと議論の長さは無関係。
あたかも良い戦略には長い議論が必要だと錯覚してしまう。
思い付きは悪い戦略しか生まないと先入観がある。
本当だろうか。
逆に長い議論は必ず良い戦略を生み出してきただろうか。
長い議論をしている内にライバルは次の一手を講じていないだろうか。
長い議論をすることで責任から逃れているだけである。
長く議論することで議論の前提条件が変わることを待っているに過ぎない。
議論を始める前に、最終的な期日とアクションを決めておく。
誰がそのアクションをとるかも。
そうすることで議論に責任が発生する。
期日を伸ばさずにアクションを取るかどうかを回りは見ている。
一度、責任者が意味もなくアクションを伸ばすと、以降そのチームは責任を取らない人の集まりになる。
議論をする前に責任を植え付ける。
自分にも他人にも責任を課さないと議論は本来の目的を見失う。