毎日反省 毎日成長

上手くいかないことばかり。でも今日も楽しく自分らしく。

サラリーマンであり、父であり、夫である 普通の親父が日常で得た気付きや悩みを 書き出すブログ

帰属感の無さから生まれる虚無感

その組織に帰属しているという帰属感がないと、特に雑用をしている時に強烈な虚無感を感じる。自分が所属している組織のためだったら雑用も組織のため、仲間のためだと感じられる。でも、帰属感がないと正真正銘の雑用になる。仲間だと思えない人のためにやる雑用に意味やモチベーションを感じることは難しい。そして正真正銘の雑用ほどやっていて虚無感を感じることはない。

帰属感

ほとんどの人は何らの組織に所属している。家族だったり、会社や学校であったり。

 

志望校に落ちて浪人になった時、自分が学校という今まで所属していた組織に所属せずにどこにも所属していない感覚を覚えた。帰属感がないことから生まれる不安はとても大きかったことを今でも覚えている。その後予備校に入り、同じ立場の人間と仲良くなることで帰属感が薄れた。自分が所属していると感じられるか組織を見つけることができた。

 

今、自分が感じるやる気の無さや不安は帰属感がないことから生まれると気付いた。今の職場には自分と同じ立場の人間はいない。所属年数や経験、知識、職位を考えると自分は非常に稀な立場である。もちろん友人と呼べる人もいない。そういう人間関係の孤立が今の職場への帰属感を妨げていると思う。

やる気がでない原因

新しい職場に配属されて4ヵ月経った。

以前としてやる気がでない、仕事に面白味を感じない。やる気が出ない原因を自分なりに考えてみた。

 

①職場に仲間がいない

 これが最大の原因だと思う。一緒に働く人を仲間だと感じない。だから人のために働きたいと思えない。仲間だと感じないのは、一緒に苦楽を共にしていないから、仕事でしか繋がっていないから、共に過ごした時間が短いからだと感じている。今の職場は関係部署も含めて限られた職場内で人事異動があり、私のような全く別の職場から来る人はいない。ましてや課長クラスで来る人は皆無である。その中で私もどうやっても溶け込めない状態にある。

 

②技術、製品に興味がない

 自分は学生時代から専門としてきた技術、製品を担当してきた。その技術から離れて、別の技術、製品を担当している。ただし、今の仕事は管理業務であり技術的な深掘りも無いだけでなく、職場自体もリピート業務が多く技術的な深掘りを必要としていない。よく分からない専門用語ばかり言われて知的好奇心が萎えてしまった感じがする。

 

③あと半年で異動

私の異動は社内でも異例であり、ある期間が過ぎると元の職場に戻る。今の職場にいるのはあと数ヶ月なので、どうしても苦労して専門知識を得ようという気持ちが起こらない。

 

これまでは自分で仕組みを作ったり、新たな技術を開発したりしてきた。それを繰り返すことで人的ネットワークを作ってきた。そのネットワークを使って、また新たな仕組みを作るという好循環を回してきた。今は完全な悪循環。言われた仕事をこなす、面白味を感じずに深掘りできない、自分らしさを発揮できないというように。

 

総じて言うと、今の職場に馴染めない。人間関係でも技術的にも馴染めない。どんなに溶け込もうとしても、よそにいる感じがする。疎外感をどうしても感じてしまう。

それは客観的に考えてリスクなのか?

新しい職場に慣れたと思ったら、また異動になり新しい仕事に就くことになった。しかもプロジェクトリーダーだけが所属する部署。そのプロジェクト素人の私が何故かリーダーをすることになった。まだプロジェクトは始まっていないので、勉強中。

 

会社や上司から期待されているのかもしれないが、さすがに精神的につらい。ただ幸いなのは昨年ほど頭の回転が遅くなるようには感じていない。昨年より年上の人や役職が同格以上の人に囲まれているため、良くも悪くも新人感覚でいられる。

 

ただ、プロジェクトに関わる以上、積極的な発言が求められる。昨年感じた自信喪失から人前で発言することが苦手になった。馬鹿な発言だと思われたらどうしようという気持ちが強くなってしまった。数年前の自分が嘘のように大人しくなってしまった。面白くない人間になったと自分自身でも感じる。

 

要はびびってる。回りから無能だと思われることから逃げている。先日、ネットサーフィンをしているときに、びびってる自分に自問自答したい言葉を見つけた。

「それは客観的に考えてリスクなのか?」

その場で馬鹿な発言をすることで具体的な損害はあるのか?極端に言うと、死ぬのか?

むしろ、自分らしく振る舞えないことの方がリスクではないか?ストレスを溜めて心身に悪影響が出たり、その発言からの学びを捨ててしまってはいないか?

 

「それは客観的に考えてリスクなのか?」

びびってる自分に問いかけ続けたいと思う。

やる気が出ない。

 これまでの自分は何に対してもポジションに取り組んできた。新しいことにチャレンジすることにワクワクしてきた。失敗によるダメージよりもチャレンジできる興奮が上回っていた。

 そんなポジティブな自分は約1年前までである。今はネガティブでチャレンジが怖い。約1年前に大きな異動があった。それまではずっと同じ製品を担当してきた。新規製品開発から量産対応まで一連の製品ライフスパンを経験してきた。今は全く新しい製品を担当している。製品理解が乏しいことから始まる負の連鎖を約1年経験し、やる気を失ってしまった。

 どうすればやる気が出るかは分からないが、やる気を失った原因はいくつか思い当たる節がある。何か特定の一つの原因ではなく、小さな積み重ねでやる気を失ったと感じている。

 今まではやる気のない人を理解することはできなかった。今は身に染みて分かる。一つをきっかけに負の連鎖が始まれば、人は簡単にやる気を失う。

善人と悪人の二面性

善人と悪人の二面性がある人が回りにいる。

日頃人前では善人的な発言をしているが、実情では回りの人をメンタル不調に追い込んでいる悪人的な人がいる。

自分の善人的な発言が自分自身を善人に仕立てるために、悪人である実情を受け入れられない。


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「メンタル不調な方がいれば業務負荷を下げたり悩みを聞きましょう」と善人的な発言を言っている傍から、相手を全否定する発言をしメンタル不調に追い込む悪人と化す。

善人的な発言をすればするほど自分自身が悪人であることに気付かなくなる。

そういった人をいくら諭しても効果がない。

自分の二面性に気付いていないから、善人的な自分が悪人的な自分を隠してしまう。

 

二面性がある人には、切り替わるポイントが存在する。

私の回りにいる人は、その人より立場が上の人が同席する場合に悪人になる。

悪人と化すと、自分を良く見せようと回りを徹底的に攻撃する。

立場が上の人が去ると善人に戻る。

自分が善人から悪人、悪人から善人に切り替わっていることに気付いていないから。

無意識に二面性が切り替わっている。

 

自分の回りに二面性のある人がいれば、切り替わるポイントを探すべきである。

切り替わるポイントを把握して、自分を安全地帯に留める準備をしなくてはいけないから。

 

 

 

 

自分に責任を植え付けていないと活躍できない

今日はある大きな会議に出た。

ある製品のコストを決める会議。

コストの全体責任者は私ではなく、私はコスト低減の一部の担当者。

コストの内訳が複数あり、同列の責任者は複数人いる。

各責任者からコストの現状を報告したが

到底目標コストに入らずに、前モデルより

コストアップすら可能性がある。

全体責任者が無理な目標コストを立てて、各担当者は困難なノルマを課せられないように自分を守ってばかり。

守りに入っているのは自分も含めてだが、比較的大きなコストダウンをわたしのチームから提案済みなので、少し気楽に参加していた。

 

重苦しい会議が2時間も続いたが、

振り返ると私は何一つ有意義な発言ができなかった。

他人の発言を繰り返しているに過ぎない無能な参加者であった。

 

根本的にそのコストを何とかしようという責任感がないためだと思う。

誰だって自分が責められると思うと必死に考え必死に発言する。

その責任感がないと、大したことことは思い付かない。

そんな責任感がないなら、その会議に参加するだけ無駄だった。

責任感が違うだけで同じ会社に属して、同じ収益から給料をもらっている。

そんな単純なことすら忘れていたことを反省した1日であった。

 

日頃、単純なミスを繰り返す部下も結局のところ私と同じように自分に責任を植え付けていないだけなんだろうと実感した。