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サラリーマンであり、父であり、夫である 普通の親父が日常で得た気付きや悩みを 書き出すブログ

「働き方改革」=「時間の削減」なのか?

働き方改革とは

 

電通での事件、政府の提言、選挙の公約など様々な場面で「働き方改革」が訴えられている。ニュースや新聞で見かける「働き方改革」はいつも時間の削減に直結した内容である。
もし、仕事にかける時間をインプット、出てきた結果をアウトプットと定義すると、いつも議論されるのはインプットを減らすことということになる。

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アウトプットはどうなるのか?

 

ではアウトプットは減らないのか?それはいつも議論されない。又は会社が考えることという風潮に聞こえる。
私の会社でもいつも議論されることは、会議の時間を減らそう、報告の機会を減らそう、資料はありもので対応しようというように時間を削減することばかりである。
アウトプットが減ることはいつも議論されない。アウトプットが減って会社の収益が減り、給料が減ることや雇用が維持されないことは不安にならないのだろうか。
私も含めて働き方改革を考える人は、フリーランスや副業といった自由な働き方から収入を得ることのできないサラリーマンが多い。良くも悪くも会社に強く帰属している人間である。
にも拘わらず、自分の権利が広がることを議論する場合は会社の収益を忘れてしまう。
極端な言い方をすると、自分の自由な時間は減らす、会社の収益は会社が考えろと言っているように聞こえる。
会社の上司は、インプットを減らしてアウトプットを増やせる優れた上司ばかりなのだろうか?ほとんどの場合、あなたの上司は猛烈に深夜まで働いて出世した人ではないだろうか?

 

真の働き方改革とは

 

私の考える働き方改革とは上司に歯向かうことである。もちろん、面と向かって上司の否定ばかりをして受け入れらるほど、良い上司ばかりではない。上司をうまく説得する技量も含めて働き方改革である。
上司に歯向かうことは、もっと自由になることだと思う。自由には責任が生じる。今までは言われた通りやって、言われた通りの時間をかけて仕事をしてきた。それでも結果に対して上司は責任を取ってくれないと文句を言ってきた。上司に歯向かって自由になったら、そもそもすべての責任を自分で取らなくてはいけない。
もしかしたら、今までチームで働いていた人たちが個人商店のような働き方をすることを指しているかもしれない。個人商店において、確実に収益を出すために他のメンバーと互いの収益に繋がる枠組みを作って協力することもその人の働き方だと評価されるだろう。
働き方改革が進むと、個人の評価はより広がり出世も差が出てくるだろう。上司や周りをうまく使ってアウトプットを出す人が評価されて、上司の指示を待っている人は全く評価されないだろう。

 

働き方改革を進める覚悟ができているのか

 

ある意味、今までの働き方は楽である。自由もなければ責任もない。
ただ、残念ながら多くの会社において上司は今まで責任取ってくれなかった。
どうせ責任を取るなら自分に自由もくれというのが私の主張である。
今何をやるべきで何を止めるべきなのか、そもそもの組織の成り立ちを否定するほどの提案を自分でできるだろうか。
その覚悟がないのに、社会に時間を減らすことばかりを求めていては会社の収益は減るばかりである。
卵が先か鶏が先かの議論のように、まず時間を減らしてから社員に覚悟を植え付けるという考えもあるかもしれない。
ただし、少なくとも時間が変わったら、自分も何かを変えないといけないということは自覚しておいてほしい。