20年前の自分に問いかけたい
私は今40才になる。20年前は20才である。18才で高校を卒業して19才は浪人していた。高校時代と浪人時代は自分にとって屈辱の日々だった。
20才はその屈辱の日々から脱し、やっと自由を手に入れた時。それでも未だに夢であの頃を思い出す。明日が受験日というのは夢をよく見る。当時の苦しみは自分の中に刻み込まれているのだと思う。
あの頃、この苦しみがいつか晴れると信じて自分に言い聞かせて過ごしていた。あの頃の自分から見て今の自分は納得がいくのか?あの屈辱の日々を乗り越えた対価を得ていると感じられるか?
やる気を感じない日々を送っている自分にどうしても問いかけたくなる。
やる気がでない原因
新しい職場に配属されて4ヵ月経った。
以前としてやる気がでない、仕事に面白味を感じない。やる気が出ない原因を自分なりに考えてみた。
①職場に仲間がいない
これが最大の原因だと思う。一緒に働く人を仲間だと感じない。だから人のために働きたいと思えない。仲間だと感じないのは、一緒に苦楽を共にしていないから、仕事でしか繋がっていないから、共に過ごした時間が短いからだと感じている。今の職場は関係部署も含めて限られた職場内で人事異動があり、私のような全く別の職場から来る人はいない。ましてや課長クラスで来る人は皆無である。その中で私もどうやっても溶け込めない状態にある。
②技術、製品に興味がない
自分は学生時代から専門としてきた技術、製品を担当してきた。その技術から離れて、別の技術、製品を担当している。ただし、今の仕事は管理業務であり技術的な深掘りも無いだけでなく、職場自体もリピート業務が多く技術的な深掘りを必要としていない。よく分からない専門用語ばかり言われて知的好奇心が萎えてしまった感じがする。
③あと半年で異動
私の異動は社内でも異例であり、ある期間が過ぎると元の職場に戻る。今の職場にいるのはあと数ヶ月なので、どうしても苦労して専門知識を得ようという気持ちが起こらない。
これまでは自分で仕組みを作ったり、新たな技術を開発したりしてきた。それを繰り返すことで人的ネットワークを作ってきた。そのネットワークを使って、また新たな仕組みを作るという好循環を回してきた。今は完全な悪循環。言われた仕事をこなす、面白味を感じずに深掘りできない、自分らしさを発揮できないというように。
総じて言うと、今の職場に馴染めない。人間関係でも技術的にも馴染めない。どんなに溶け込もうとしても、よそにいる感じがする。疎外感をどうしても感じてしまう。
自分の中に潜んでいる劣等感
私は大学入試で一浪している。
一浪後に晴れて志望校には入れた。
その後大学院まで進み一般的には大企業と言われる企業に入った。その企業でもそれなりに評価され、スムーズに課長まで昇格した。
でも、一浪したことの劣等感がふと自分の中に甦る。仕事やプライベートで少し悩んでいるときに甦ることが多い気がする。
もう何十年も前のこと。
でも、その劣等感に苛まれてしまう。
一浪したことは人生の一年を捨てたことのように感じる。同じ年に生まれた同級生から落第したということだから。
おそらくこの劣等感は一生消えない。
この劣等感こそが自分のモチベーションのような気がする。悔しい気持ちを打ち消すために努力する。そうやって成長してきたし、これからも成長していくしかない。
劣等感を感じた時は人生が成長の時だと教えてくれていると考えるようにしている。
それは客観的に考えてリスクなのか?
新しい職場に慣れたと思ったら、また異動になり新しい仕事に就くことになった。しかもプロジェクトリーダーだけが所属する部署。そのプロジェクト素人の私が何故かリーダーをすることになった。まだプロジェクトは始まっていないので、勉強中。
会社や上司から期待されているのかもしれないが、さすがに精神的につらい。ただ幸いなのは昨年ほど頭の回転が遅くなるようには感じていない。昨年より年上の人や役職が同格以上の人に囲まれているため、良くも悪くも新人感覚でいられる。
ただ、プロジェクトに関わる以上、積極的な発言が求められる。昨年感じた自信喪失から人前で発言することが苦手になった。馬鹿な発言だと思われたらどうしようという気持ちが強くなってしまった。数年前の自分が嘘のように大人しくなってしまった。面白くない人間になったと自分自身でも感じる。
要はびびってる。回りから無能だと思われることから逃げている。先日、ネットサーフィンをしているときに、びびってる自分に自問自答したい言葉を見つけた。
「それは客観的に考えてリスクなのか?」
その場で馬鹿な発言をすることで具体的な損害はあるのか?極端に言うと、死ぬのか?
むしろ、自分らしく振る舞えないことの方がリスクではないか?ストレスを溜めて心身に悪影響が出たり、その発言からの学びを捨ててしまってはいないか?
「それは客観的に考えてリスクなのか?」
びびってる自分に問いかけ続けたいと思う。
ある日突然頭が冴える
年初から仕事と職場が変わり、新しい専門単語が頭に入ってきたり、新しい人間関係に飛び込む日々を送っていた。
その中で自分を悩ませていたのは、突然自分の頭が悪くなったこと。
ある現象を見ても思考が始まらない、ちょっとしたことを思い出せない、仕組みを理解できない。
正直、何らかの脳の病気を疑うほどであった。
確かに新しい仕事と職場でストレスは感じている。
ストレスの結果、全身に蕁麻疹が出たこともあった。
ストレスによって思考力や記憶力が落ちることはある
のかもしれない。しかし、ストレスのせいにできないくらい頭が悪くなった。
これはきっと病気のせいだと考えながら日々過ごしていた。
しかし、ある日突然頭が前のように回るような感覚を感じるようになった。
回ると言っても人並みに記憶できたり、考えを述べることができるだけで、天才になった訳ではないです。
愕然とするほどの頭が悪くなった状態から元の普通に戻っただけ。
それでも普通に戻れたら、普通に仕事ができる。
それだけで苦しむことなく日々を送ることができる。
そんな「普通に」突然戻れた気がする。
きっかけは明確でないが
・敷き布団を変えた。新品の敷き布団なので強い反発力を感じる。今までの布団でも熟睡感を感じていたので、体感として何か変わった気はしない。
・単純に仕事に慣れた。新しい仕事と職場も1年近くになり、さすがに慣れてきた。頭が悪くても少しずつだけ慣れてきて、精神的安定感を感じるようになった。
思い付くのは以上の2点くらいです。
慣れたと言っても、まだまだ回りに比べれば知識や経験は劣ります。
結局は気の持ちようなんでしょうか。
気の持ちようほど単純でコントロールの難しいことはないと思います。
口が滑る
今日、口が滑って不要なことを言って
しまった。相手に伝えようと表現を詳しく
した結果、出席者を卑下する表現を
発してしまった。
話した瞬間に「しまった!」と思ったが、
後の祭り。
自分なりの今日の失敗を反省して
今後の対策を考えると
・自分のことを話そうとして自分の深堀を
相手に伝えようとした。
今から振り返ると、相手からすると私の
ことはどうでもよく、相手の立場に立った
相手の単語を使った表現が必要だった。
→自分のことを言いかけたら、それを相手
への質問に変えてみる。
→相手とのコミュニケーションで互いに
一言ずつ交わしていくことで相手の表情
も読み取れるし、方向修正することも
できる。
→分かりやすく10秒以上は話さないという
ルールを自分に課してみようと思う。
10秒話したら相手の意見を聞く。
→それを繰り返すことがコミュニケーション
だと実感した1日でした。
瞑想の仕方
瞑想中に気を付けていること
①無意識になることに拘らない
瞑想というのは無意識になることで
自身の意識や思考が入ってはいけない
のかもしれません。
瞑想中に無意識で居続けることは
少なくとも私には無理です。
色んな思考が始まってしまいます。
あまり意識が始まることに焦らずに
10分の瞑想中に1秒でも無意識があれば
良いと楽観的に考えています。
思考が始まってしまったけど、
それまで少しの間は無意識だったので
良しとしようぐらいの気持ちです。
②色んな瞑想パターンを試す
瞑想中の姿勢には拘りがなく、その時
楽だと感じる姿勢で始めます。
頭の中は色んな瞑想パターンを試すように
しています。回りの環境や自分の体調に
合わせて集中しやすいパターンが
あるからです。
・呼吸の数を頭の中で数える
・同じ単語や文章を頭の中で復唱する
・外の音に耳を傾ける
・自分の体を頭から爪先までなぞる
・呼吸だけに集中する
等が私が試している瞑想パターンです。
瞑想パターンはyoutube等で色々と紹介
されているので自分に合う方法を
探してみてください。