今を生きるということ
過去の自分が生き生きと働けていた姿を思い出したり、未来になったら今より楽しく働けることを願ったりすることがよくある。
何年も前の学生時代の失敗を後悔することすらある。
そうやって自分の意識が過去や未来に向いている。苦しい日々を送るなかで自分は今を見ていないということに初めて気付いた。今を見ないことは今から逃げるということ。もうすでに経験した過去や答え合わせの出来ない未来を考えることは利益もなければ、害もない。責任もない。そうやって自分の意識を過去や未来に逃がすことで自分を守ってきた。
その結果、今を見ない、見れない、見ようとしない。今に意識が向かない。心ここにあらずの状態で過ごしていた。それがある意味楽だったが、本当の苦悩は全く減らない。
今に意識を向けるにはどうすれば良いか、確実な方法は分からないが、まずは自分の意識が過去や未来に向いていることを自覚することだと思う。そして単純に目の前にあるもののことを考える。ただそれだけで心がここにある気がする。それだけで今の自分の行動に集中できるし、注意を払える。今を意識することは自分の関心事のことばかり考えることでもない。私の場合、今の苦しみの原因は仕事であるが、職場から離れたらその場のことを考えて仕事のことは考えないということ。家庭にいるなら家庭のことを考えるということ。
過去や未来のポジティブな自分を考えるのではなくて今の時間を大事にして今を生きることは、過剰な不安から自分を守ってくれる気がする。
精神的不安定の原因を解きほぐす
ここ1年、職場になれずに仕事のパフォーマンスが悪いだけでなく精神的にも不安定な日々を送っている。
その原因を解きほぐしていくと、最終回には人間関係に落ち着く。
技術的な経験、知見不足により自信がないことで人間関係を上手く構築出来なかったり自分の思う通りに展開できなかったりしている。また、すでに出来上がっている人間関係に上手く入り込めずに自分を蚊帳の外にしてしまっている。
自分に今必要なのは嫌われる勇気なのだと思う。結局は自分が無能であることをさらけ出すことが怖くて人間関係を改善できずにいるだけのような気がする。
人より成果が出ている安心感
自分は回りより仕事で結果を出しているという自負があった。その自負が自分に精神的ゆとりを与えてくれていた。多少失敗しても、多少雑談をしても成果が出ているから大丈夫という気持ちがあった。過去も含めた成果に対する自負があったと思う。自分が成果に自信を持っているというより、自分の成果に対して回りが一目置いていると自分が感じていることが自負を強める。その職場にいる時間が長ければ必然的に自負も増していくように感じる。
そういう自信の元になる核が一つあると、そこから次の核を作って自信を深めたり範囲を広げたりすることができる。
今の職場には他人に誇れる自負がない。その自信の無さが精神的不安定を引き起こしている一因だと思う。
周りと距離を置くと楽になる
最近、今の職場に帰属感を感じないことが自分のモチベーションの低さに繋がっていることに気付いた。
もちろん、職場に馴染んで帰属感を感じることに越したことはない。ただ、私の残された期間(あと半年で異動)、馴染みたいという気持ちの無さを考えると帰属感を感じられるようになるのは難しいと思う。
であれば、帰属感を感じないこと、感じられるようにしないことを前提にした方が気持ちが楽になる気がする。何かあっても今は仮の所属、仮の姿だと自分に言い聞かせる。無理に馴染もうとはしないで、1人でいることを意識しない。
ネガティブかもしれないが、そうやって自分を守るのも心身の健康には効果的だと思う。
帰属感の無さから生まれる虚無感
その組織に帰属しているという帰属感がないと、特に雑用をしている時に強烈な虚無感を感じる。自分が所属している組織のためだったら雑用も組織のため、仲間のためだと感じられる。でも、帰属感がないと正真正銘の雑用になる。仲間だと思えない人のためにやる雑用に意味やモチベーションを感じることは難しい。そして正真正銘の雑用ほどやっていて虚無感を感じることはない。
帰属感
ほとんどの人は何らの組織に所属している。家族だったり、会社や学校であったり。
志望校に落ちて浪人になった時、自分が学校という今まで所属していた組織に所属せずにどこにも所属していない感覚を覚えた。帰属感がないことから生まれる不安はとても大きかったことを今でも覚えている。その後予備校に入り、同じ立場の人間と仲良くなることで帰属感が薄れた。自分が所属していると感じられるか組織を見つけることができた。
今、自分が感じるやる気の無さや不安は帰属感がないことから生まれると気付いた。今の職場には自分と同じ立場の人間はいない。所属年数や経験、知識、職位を考えると自分は非常に稀な立場である。もちろん友人と呼べる人もいない。そういう人間関係の孤立が今の職場への帰属感を妨げていると思う。
20年前の自分に問いかけたい
私は今40才になる。20年前は20才である。18才で高校を卒業して19才は浪人していた。高校時代と浪人時代は自分にとって屈辱の日々だった。
20才はその屈辱の日々から脱し、やっと自由を手に入れた時。それでも未だに夢であの頃を思い出す。明日が受験日というのは夢をよく見る。当時の苦しみは自分の中に刻み込まれているのだと思う。
あの頃、この苦しみがいつか晴れると信じて自分に言い聞かせて過ごしていた。あの頃の自分から見て今の自分は納得がいくのか?あの屈辱の日々を乗り越えた対価を得ていると感じられるか?
やる気を感じない日々を送っている自分にどうしても問いかけたくなる。