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課長のメンタル不調が何故多いのか

私の回りで課長がバタバタとメンタル不調が原因で長期療養に入っている。
会社全体で見ても長期療養は課長のメンタル不調が一番多い。
忙しい訳ではなくて、上司と部下に挟まれて耐えられなくなり会社に来れなくなってしまう。
多忙のためメンタル不調になる人もいるが、人間関係が原因のメンタル不調の方が圧倒的に多い。



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課長にメンタル不調が多い理由

メンタル不調の原因の大半は人間関係

もちろん、多忙のためにメンタル不調になる人はいる。
ただし、職場全員が多忙であると自分だけが高負荷であるという意識が働かずに極端な悲観的になりにくい。
自分だけという感覚は、疎外感を生み出していまい、環境に関係なくメンタル不調になりやすい。
自分だけの悩みを誰にも相談できずにメンタル不調になる。

相談できる人がいなくて口撃する人しかいないと、人はメンタル不調になる。
どんな職場であっても、メンタル不調の原因は人間関係である。

課長にメンタル不調が多い訳


中間管理職である課長のメンタル不調の原因は、その名の通り中間であるから。
部下と上司に挟まれている職位であるから。
課長より上位の部長もまた中間管理職とも言えるが、部長は部下の課長がプレイヤーでないことが課長とは違う。
課長だけがプレイヤーとマネージャーの中間にいる職位である。
上司と部下の働き方が違う以上、上司の考えと部下の実情に隔たりが生まれて板挟みになる。
課長だけがマネージャーとプレーヤーの両方の意見を考慮しなければいけず、自分だけという疎外感が生まれる。
課が違うと業務内容・範囲が異なる場合が多く、他の課長にも相談できずに疎外感を生み出す要因になる。
その結果、多数のメンタル不調者を課長から出すことになる。

会社が課長に求めるもの

課長を査定するポイントにおいて、プレイヤーとしての働きに重きを置いている会社は少ない。
マネージャー:プレーヤー=8:2くらいで評価している会社が一般的。
自身がプレーヤーとして働くのではなくてマネージャーとして部下のプレーヤーの働きを効率化させることを会社は求めている。
社会が求めるコンプライアンスが年々高度化、複雑化していることも課長にマネジメントを求める一因になっている。
部下がコンプライアンス違反することがないように見張るマネジメントが求められる。
そのため、課長になるとマネジメント教育という類いの教育をわんさか受けることになる。
部下とのコミュニケーション方法、コンプライアンス順守教育など教育だらけの会社もある。
課長は会社からも社会からもマネジメントを強く求めることになる。

部下が課長に求めるもの

一方で、部下は課長にプレーヤーとしての判断・助言を求める。
決済権が課長にある以上、部下はプレーヤーとして判断を課長に求める。
プレーヤーとしての部下は現場に出ることが多く、持っている情報量は課長より圧倒的に多い。
部下は現場に近い分現場からのプレッシャーも強く、判断を急ぐ傾向にある。
一方で課長には会社の売り上げ見通しなど中長期的な情報が入る。
否応なしに短期間ではなくて中長期的な視点を課長は持つことになる。

少ない情報量でかつ、中長期的に間違いのない判断を短期間で課長はしなければいけない。

マネージャーとプレーヤーの経験

マネジメントが全て教育で補えるとは思えないが、マネジメントは後から少しずつ身に付くものである。
課長である以上マネジメントの経験はずっと続く。
被害の大小にも依るが、失敗しても次のマネジメントで修正することができる。
人との付き合い方法など年齢とともに身に付くマネジメント要素もある。

一方で一度課長になってしまうと、本人が強く意識しないとプレーヤーとして経験を積むことは難しい。
昇格以降現場に行くことが減ってしまった課長は何年も前の現場の経験しか知ることができない。
常に変化する現場を時代遅れの認識でしか把握できない。

昇格以降マネジメントの経験は積むことができるが、プレーヤーの経験を積むことはできない。

課長昇格のポイント

課長昇格を決めるのは上司である部長であることが一般的である。
部長はプレーヤーではなくてマネージャーである。
課長昇格とは、マネージャーがプレーヤーの中からマネージャーに相応しい人を選ぶことである。
マネージャーの視点で評価すると、プレゼンの上手さや関係者との折衝等マネージャー寄りの働きを重視してしまう。
マネージャー寄りの働きはマネージャーに理解しやすいし、マネージャーを助けることにもなりやすい。
そのため、上司はマネージャー寄りの働きを評価するだけでなく、直接指示することも多い。

一方で現場に出て汗を流す仕事をすると、プレゼンや折衝する機会が減り昇格が遅れることになる。
昇格に影響しないため、誰も好き好んでプレーヤーの仕事をしなくなる。

上司と部下に板挟みになる課長

プレーヤーとしての働きではなくて、マネージャーとしての働きを評価されて課長に昇格すると、プレーヤーとして圧倒的な経験不足に陥る。
プレーヤーである部下の話に全くついていけずに、部下の提案を無責任に承認することになる。
無責任に承認していることを上司である部長は気付いてしまい、課長を罵倒することになる。

理由もなく部下の提案を却下すると、今度は部下から不満の声が上がる。
ただ部長が怖いからという理由で却下している訳だから、部下は納得できない。
部下の提案を却下している訳だから課のパフォーマンスは悪化する。
その結果、また部長に罵倒される。

上司と部下の板挟みになる構図が完全に出来上がる。

プレーヤーとしての経験不足が真因

課長が板挟みになる真因は、本職であるマネジメントではなくて、プレーヤーとしての経験不足である。

マネジメントを評価して会社は課長に評価していると。
プレーヤーとしての経験不足を助長しているのは、会社そのものである。
言い換えると、課長のメンタル不調の原因は会社の人事制度であり会社そのものにある。
会社の人事制度が変わる前に、
自分が課長なら勇気を出して現場に行くべきである。
自分が現場に出ていた時とは変化があるはず。
そして、現場で発言をする。
初めは的外れな発言をするかもしれない。
正面から現場に向き合えば、的を射た発言をすることができるはずである。
課長に昇格できた以上、部下より優秀な点は必ずあるはず。

自分がプレーヤーならば、現場の経験を重視すべきである。
上司はマネジメント寄りの働きを期待することもある。
それを無視することが出来なくても、軸足は現場におく必要がある。
出世欲が強い人は部長だけの意見で行動しがちであるが、自分がメンタル不調になっはそれ以上の出世は望めない。

純粋にプレーヤーとして働ける時期が数年しかない会社も存在する。
その貴重なプレーヤーとしての時期に現場での経験をしていないことが後々経験不足として大きな痛手になる。

本当に出世する人は課長期間が短い。
役員まで上がろうと思うなら、課長は短期間で済まさないといけない。
課長から一気に昇格するためにも、メンタル不調にならないためにも、プレーヤーとしての経験を重視すべきである。


緊張と不眠 根底は同じ

ある時期を境に不眠と緊張に苦慮するようになった。

少し前までは不眠も緊張も私には無関係な言葉だった。

ある時突然、寝付きが悪くなった。

ほぼ同じ時期に人前で話すと緊張するようになった。



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不眠と緊張が出始めた時期

不眠と緊張が出始めた時期から会社で複数の人を代表するリーダーとしての業務が増えてきた。

それまでもリーダーとしての業務がなかった訳ではないが、どちらかと言うと組織上のリーダーが別にいて実質的なリーダーを自分が担う状況であった。

実質的なリーダーを差し置いてチームを引っ張ることが多かった。

実質的なリーダーもその方がチームのパフォーマンスもいいし、その上の上司もそう望んでいた。

その後、自分が名実ともにリーダーになった時期から不眠と緊張に悩み始めた。


不眠と緊張が出始めた理由

名実ともに自分がリーダーになった時期に様々な集まりの代表を任されるようになった。

今までに深く付き合っていない人の代表にもなったということ。

また、その時期から次の昇格話が出始めた。

査定が上がったり、役員面談が組まれたりと社内で一般的に行われる昇格の事前準備が始まった。

今までの自分なら代表の役割は果たせる。

昇格も過剰に求めてもいない。

自分の中ではそう考えていた。


今から考えると、実際には回りからどう見られるかを過剰に意識するようになったと思う。

今までは実質的なリーダーでしかないことに不満を持っていた。

名実ともにリーダーになって、さらに上のポジションも見えてきた。

今までの不満が希望に変わりつつあることで「失敗できない、他人から良い評価をもらおう」という気持ちに変わった。


不眠と緊張の症状

布団に入ってから上手くやる方法を考え込んでしまう。

こうすればいい、明日出社したら試してみようとか考え始める。

他にもアイデアを出そうとする。

頭がどんどん冴えてくるのが自分でも分かる。

その結果、朝まで眠れないことが何度もあった。


同時期に人前で話すことが苦手になった。

参加者が数十人になるだけでうまく話せないようになった。

自分の話す順番になる直前でいきなり緊張に襲われる。

当然、緊張が始まるので対応ができない。

カンペを見ないと不安になり、カンペを噛みながら話すことで一杯一杯だった。

それまで不眠に悩んだこともなかったし、人前で話すプレゼンテーションは、むしろ得意だと自負していた。

だからこそ、自分なりにとても悩んだ。


不眠と緊張の克服方法

まだまだ不安ではあるが、不眠も緊張も改善しつつある。

不眠に関しては半年以上発生したことはない。

緊張は試行錯誤しながら自分なりの克服方法を作りつつある。

不眠も緊張もほぼ同じ時期に発生したことから同じ理由だと考えている。

理由が同じなので克服方法も同じである。

自分への過剰な期待や集中を自分の外へ向けること。

不眠であれば、回りや外の音に意識を向ける。

風の音、車の音、自分の外には色んなことが起こっている。

それに意識を向ける。

緊張であれば、回りの人の言動に意識を向ける。

その場にいる人の発言や挙動に意識を向けて、こちらから話したりする。

自分への過剰な集中を外に向ければ、自然と不眠も緊張も改善してきた。


今回、不眠と緊張のお陰で結果的に自分をコントロールする術を学びつつあると実感している。


緊張と客観

緊張している時は自分のことしか考えない。
ミスしたらどうしようとか、忘れたらどうしようとか、あくまで自分がどうなるだろうと自分のことばかり考え込む。
緊張せずに人前で最大のパフォーマンスをとるために、緊張とはどのような状態なのかを考察してみた。



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緊張の反対の状態

緊張とは反対で、人前で最高のパフォーマンスが発揮できる状態を考えてみた。
辞書で緊張の反対語を調べると物事が対象ならば緩慢や、人が対象ならば集中などが出てくる。

緊張せずにこうありたいと思う姿は緩慢とは違う。
緊張感なくだらだらとすることを目指している訳ではない。

一方で集中も緊張の反対だとは思えない。
むしろ、集中し過ぎて緊張しているのが実際である。
すなわち自分への過剰な集中こそ緊張だと感じる。

緊張の反対の状態は「客観」

緊張せずに目指している姿は「客観」。
自分に没入しすぎず、回りと自分の両方に注意が払える状態。
最近の経験で緊張を解く方法として有効だと感じていることは、回りに注意を払うこと。
そうすることで、自分への過剰な集中を避けてくれる。
他人の発言を注意深く聞いてみる、緊張してソワソワしている人の言動を注視する、外の車の音や風の音に耳を傾ける。
自分の外へ意識を向ける方法はいくつかある。

自分の外へ意識が向かうと、自分への過剰な集中が収まる。
自分への過剰な集中が収まると、手の震えや心拍数の上昇などの緊張から来る身体的症状も収まる。
自分の外へ意識が向かう状態を表すのは「客観」が最適な表現である。

客観な状態になると

自分の回りへ意識が向いている状態で自分が動き出すと、あたかも自分も回りの一部であるかのように錯覚することがある。
話している自分に対して、あのポイントを忘れるなとか、ここは具体例を添えたらどうだとか、時間はまだあるとかアドバイスすらできる感覚が生まれる。
この状態だと最高のパフォーマンスが発揮できる。
客観の中に回りと自分を認識できる状態こそ、緊張とは真逆の状態。

緊張とは何なのか

一般的に客観の反対語は主観である。
そう考えると、緊張とは過剰な主観なのかもしれない。
自分のことだけを考えて、どんどん不安になる。
冷静に考えると大したことがなくても、他と比べることなく一人で絶望的に考えたり恐れたりする。
緊張とは、自分が主観的に考えて生まれた自分勝手な恐怖心である。

勝負の前にブログを読み返す

途中で何度も途切れながらも1年くらいブログを書いている。

私の性格上、失敗しても忘れてしまい同じ失敗を繰り返す。
反省したことを忘れないようにブログに書きためている。

今日、過去に失敗したものと同じようなイベントが開催された。
もしかしたら緊張して、また失敗するかもしれない。

こういう時こそ自分のブログを読み返そうと思う。
その時々で考えた「こうするべきった」を振り返って同じ失敗を繰り返さないようにするために。

他人は自分の鏡

感情を顕にしている人を見ると、何故か自分は冷静でいられる。

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今日、ある会議で怒って不貞腐れた人がいた。「俺が悪いのか!」と癇癪を起こして不機嫌になる。
直接の部下からもなだめられてしまう始末。

別会社の人間なので、互いに丁寧語で話すのがマナーだが、相手だけタメ口に変わる。
私は冷静に丁寧語で話続けることができた。

初めは多少の怒りを感じた。
余りに失礼な態度なので、怒りを通り越して冷静になってきた。
売り言葉に買い言葉にならないように相手の発言が正しい場合は肯定する、間違っている場合は全否定せずに話を逸らす。

冷静に対応する自分をさらに冷静に見る自分がいるような錯覚を感じた。
正にメタ認知の感覚であった。
有名人のタモリさんが言うメタ認知の感覚(落ち着いているときは幽体離脱のように第三者から自分を見ているように感じる)が初めて分かった気がする。

もしかしたら私のメタ認知の秘訣は自分だけに意識を集中しないことかもしれない。
失敗したらどうしようと考えているときは回りを見ずに自分だけに集中している。
回りを意識せずに自分を見失い失敗する。

まずは自分ではなく他に集中する。
その後に、他に集中している自分に集中する。
その順番がいいのかもしれない。

感情を露にしている人がいれば、メタ認知のトレーニングになる。
正に他人は自分の鏡。

ホワイトボードに書く勇気

何も決まらない、又は決まったのに何も残らない会議が乱立している。
働き方改革の名の下に会議時間短縮が求められている。
会議の時間を減らすことを目的にするのではなく、結論を出すことを目的にすれば結果的に会議時間は減る。
今までに会った結論から遠ざける言動をまとめた。

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結論から遠ざける言動

分からないから何も話さない

その場を理解できていないから何も話せないから話さない。
ただし、相づちを打つなど理解しているっぽい行動はとる。
若手であれば問題ないが、決裁者だと大変たちが悪い。

他人の発言を総括した発言を言う

言い換えることで自分の意見にしようとする。
たちが悪い人は他人の発言をパクっているという事実を忘れて自分のオリジナルな発言だと自己解釈する。
回りからしたら、ただの時間の無駄。

大上段に立った発言をする

議論がある程度進んだり、収束しつつある時にそもそもの目的を突然聞いてくる。
その場にいる少し立場の高い人が自分の存在感を出すためだけに発言することが多い。
今さらそれ聞く?と場の全員が突っ込みたくなる。

教育モードに入る

このパターンも立場の高い人がとるケースが多い。
前提条件や途中計算を理解できていないことを周りに悟られないように、若手に質問をする。
自分は分かっているが、お前は分かっているのか?という論調で発言する。
大概の場合、突然不自然に教育モードに入るため、周りにはその魂胆がバレバレである。

ファシリテイターが不在

仕切り役がいない。全員が好き放題に話してまとまらない。
ファシリテイターはとても難しい。
一番簡単な方法はホワイトボードに書くこと。
ペンを握れば必然的に流れを理解しないといけない。
誰の話が議論を進めて、逆にだれのはなしが議論を停滞させているのか分かる。
冷静に議論に入ることができるので、良からぬ方向に議論が行っても修正することができる。
ファシリテイターは口撃を受けることは多いが、勇気を出してペンを握ることが結論を近づける。
ペンを握らずに口撃だけする人はただのチキンに過ぎない。

負けパターンからは逃げる

負けパターンが分かるようになってきた。
自分の負けパターンは、厳かな会で司会をするような時。
第一声から自分で空気を自分で作る必要があり、発言の抜け漏れやフランクな表現の禁止など考慮しなければいけない点が複数あると緊張して失敗する。
司会進行ではなくて、会の途中で話すだけなら大して緊張しない。緊張したとしても失敗には至らない。

負けパターンを克服する方法を自分なりにトライしてきた。
一方で負けパターンが分かっていれば、それから逃げることも可能である。
役割分担等で得意な仕事を引き受けることで、自分の負けパターンから逃げればいい。

まずは自分の負けパターンを認識する。
全てに優秀な人はいない。
全てを克服する必要もない。
人間に得手不得手があるのは当たり前。

だったら思い切り逃げよう。
そのために自分の負けパターンをしっかり分析して、負けパターンの本質をを知る。
何が自分は苦手なのかを知れば、逃げることが可能になる。
負けパターンから逃げることが勝ちパターンになるということ。